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銀野舎ブログはじめてはじめてのインターネット
[2019/10/26] ブログはじめて
はじめてのインターネット
 私が初めてインターネットに触れたのは、1995年(平成7年)4月。大学4年になりゼミを選択して、卒業研究に取り掛かり始めた時だった。

 通常の部屋の隣にパソコン室が併設されており、卒業論文も含めて大学へ提出するレポート類は全てパソコンで製作する体制になっていた。パソコンはインターネットに接続されており、WEBサイトを閲覧可能で、1人ずつ個人用メールアドレスも付与された。
 WEBサイトを閲覧する為のブラウザソフトは「Mosaic(モザイク)」。世界初の画像を表示可能なブラウザソフトである。とは言っても、根本的なインターネット通信回線が非常に遅く、写真画像を1枚表示だけでも何秒も掛かった。どうしても画像を見て確認したい時でなければ、あえて画像がなくて文字のみのシンプルなWEBサイトを選んで見ていた。今の時代なら文字だけのWEBサイトなんて誰も見ないだろうが、その当時は、日本中や世界中の情報を文字で見られるだけでも刺激的で楽しかった。

 当時は、ごく一部の人が「パソコン通信」を行っているくらいで、現在のように不特定多数が自由に利用できるインターネットは普及していなかった。一般家庭でインターネットを使用していた人は非常に少なかったと思う。私だけではなく同級生のほぼ全員にとって初めてのインターネット体験だった。

 インターネットを利用する本来の目的は、卒業研究の為の情報収集である。だが、大学生はそんなに真面目ではない。個人的な趣味であらゆる様々なWEBサイトを見たり、友達と手軽に連絡を取り合う為にメールを使用していた。暇さえあれば常にインターネットでWEBサイトを見て、何かあればすぐに大学内の友達へメールで連絡した。
 当時はまだ携帯電話もほとんど普及していない時代で、私の周りだと10人に1人いるかどうかという程度。メールで個人へ直接に連絡できるのは画期的なツールだった。ちなみに、携帯電話が爆発的に普及し始めるのはこの1年後、私が社会人1年目の頃である。

 その当時に「Yahoo!」や「2ちゃんねる」も見ていたような記憶があるが、それらのWEBサイトの開始時期を確認すると私が大学4年だった時期と合わないので、記憶違いなのだろう。申し訳ないがその辺の記憶は曖昧である。ただ、世界中のWEBサイトを検索できるサーチエンジン、様々なニュースを配信しているサイト、不特定多数のユーザがコメント投稿できる掲示板、などの現在と同じようなWEBサイトやサービスがインターネット黎明期の当時から存在していたことは間違いない。

 大学卒業後、地方の会社に就職した。就職活動をしている中で偶然に知った会社で、数年前から会社内の事務を全てパソコン化しており、社員が希望すれば個人専用のノートパソコンを与えて貰えるという事だったので、その待遇に惹かれて入社を決めた。
 そして入社してから分かったのだが、事務をパソコン化したと言っても専用のソフトに数字を入力するのみ。ノートパソコンを与えて貰えるのは本当だったが、ワープロソフトの「一太郎」と表計算ソフトの「ロータス123」を使うのみ。インターネットには繋がっていないし、WEBサイトもメールもない。インターネットの件については就職活動中の面接の際に確認したはずだが、そもそも人事担当の社員がインターネットを全く理解しておらず適当に返事していたらしい。
 その会社では色々あり、残念ながら2年ほどで退職することになってしまった。

 退職後すぐには再就職せずアルバイトをしていたのだが、1年くらいお金を貯めてパソコンを買い、自宅にインターネット回線を契約した。1999年(平成11年)。
 3年ぶりに触れたインターネットは驚くばかりの進化を遂げていて、完全な別世界になっていた。WEBサイトに画像を使用するのが当たり前になっていて、紙媒体の雑誌や広告に近くなっていた。この頃に制作されていたWEBサイトのデザインやレイアウトが、現在もあるWEBサイトにつながっていく原点だと思う。

 現在はパソコンでのインターネットは「使い放題」が通常だが、あの当時は違った。私が自宅で一番最初に行ったプロバイダの契約は、「ダイヤルアップ回線」で「1ヶ月20時間まで」。1日平均40分程度。
 限りある時間を効率的に使う為に、WEBサイトのデータを全て読み込んだ時点で回線を一旦切断し、表示されているWEBサイトをゆっくり見て、見終わったらまた回線をつなぎ直して別のWEBサイトに移動してデータを読み込んだらまた回線を一旦切断する、という操作を何度も繰り返した。こうすることで、接続時間は1日40分程度だけでも相当な時間を楽しめた。

 私は使用していなかったが、夜11時から翌朝8時までは定額でつなぎ続けることが出来る「テレホーダイ」というサービスもあり、利用者は多かった。
 この1年後くらいから「ISDN」というデジタル回線が始まり、「フレッツISDN」というインターネット接続サービスで現在と同様の「使い放題」が始まった。私も自分の地域で使用可能になってすぐに「フレッツISDN」に切り替えた。
 インターネット回線が早くなって使い放題になったので、日本中のあらゆるWEBサイトを見た。NASAなど外国の有名な組織のWEBサイトも見て、正直な話、アダルトサイトも見た。あらゆるWEBサイトをとにかく見れるだけ見た。

 プロバイダ契約にはWEBサイトを保存して公開できる無料スペースを利用できるオプションサービスも付与されていた。また、誰でも登録して利用できる「ジオシティーズ」などの無料スペースもあり、自由にWEBサイトを制作して公開することができた。
 私も自分のWEBサイトを持ちたいと思い、HTMLを勉強し、昔の自分のノートを引っ張り出して自作の短編小説や詩でWEBサイトを制作して公開した。今あらためて考えるととても恥ずかしいが、当時の個人サイトはそういうものばかりで、それが普通だった。「WELCOME TO MY HOMEPAGE!」とタイトルに書き、アクセスカウンターを設置するのが、普通だった。

 アルバイトを2年程してから、正社員として就職した。2000年(平成12年)。パソコンの何でも屋さんみたいな会社で、1人1台のパソコンがあり、もちろんインターネットにも繋がっていた。
 私は主に企業から依頼を受けたWEBサイト制作を行っており、その他にも一般のお客さん向けのパソコン講習会「ホームページ作成コース」の講師もやっていた。

 その当時の「ホームページ作成コース」講習会の資料を今でも保存してあるが、今あらためて見ると非常に面白い。インターネット回線が現在と比べてまだまだ遅い時代なので、出来るだけ早くページを表示させてユーザを待たせない為に様々なポイントを説明していた。例えば……、
・画像データはJPEGとGIFを適切に使い分ける
・JPEGの画質は出来るだけ落とし、圧縮率は60%~80%程度で充分
・1ページが20秒以内に表示されるようにファイルサイズを調整
 ……等々。逆に言うと、当時のユーザはWEBサイトを見ていてページ全体が表示されるまで20秒は待ってくれたのだ。今なら3秒が限界だろう。WEBサイトにアクセスして3秒かかってもページが表示されなければ、ユーザはもうそのページを見ずに離脱してしまう。決して今のユーザがせっかちなのではない。今のインターネットとWEBサイトはそういうものなのだ。

 これを書いている今現在は、2019年(令和元年)10月。私が初めてインターネットに触れた1995年(平成7年)には、25年後にインターネットがこんなに一般的に誰でも簡単に使えるものになっているとは全く想像できなかった。初めてWEBサイトを制作した1999年(平成11年)には、20年後にWEBサイトがこんなに手軽に誰でも簡単に公開できるものになっているとは全く想像できなかった。
 今から20年後にWEBサイトはどうなっているだろう? 25年後にインターネットはどうなっているのだろう?
 楽しみでもあり、そして少し恐ろしくもある。
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