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銀野舎ブログ脳出血 入院記 (2)6月中旬 入院
[2023/01/31] ブログ脳出血 入院記
(2)6月中旬 入院
 病室に運ばれてきた。右手の所にナースコールのボタンが置かれて「何かあったらすぐに押すように」と言われる。他にも色々と説明を受けたような気がするが、全く聞こえていなくて、全く覚えていない。
 身体は動かない。何もすることがない。なんだか疲れた。眠い。とりあえず寝よう。あれ?今は何時だっけ?寝てもまさか死なないよね?何かあっても病院にいるんだから大丈夫だよね?まあ何とかなるでしょ。眠い。もう寝よう。眠い。

 看護士さんの声で起こされる。「おはようございます~、朝ですよ〜、」朝?いつの朝?ここは病室?寝て一日経ったのか。
 看護士さんが「体調どうですか〜」と様子を見にくる。そして色々と質問される。
「お名前は?」ああなるほど。意識がハッキリしてるか確かめてるのね。はいはい。名前はもちろん分かっているので、答える。が、名前を言おうとしても呂律が回らなくて上手く喋ることができない。でもちゃんと分かってることを早く伝えなきゃ!と思い、指で空中に文字を書いて答える。
「年齢は?」年齢ももちろん分かっている。が、上手く喋ることができない。指を立てて数字を表して、なんとか答える。
「今日の日付は?」えーと、昨日が確か◯日だっから、それから1日経ってるのなら今日は◯日のはず、と考えて答える。当たってた。良かった。
「ここの場所は?」とりあえず「病院」と答えてみるが、「どこの病院か分かる?」と質問が続く。ここがどこの病院かは分からないので、正直に「分からない」と答えると、「◯◯病院ですよ」と教えてくれた。へぇ、僕は◯◯病院に来てたんだ。
 寝て一日経ったので、もう眠くない。気分の悪さみたいなものもない。ちょっと落ち着いて自分の周りを見てみる。身体には色んな機器が付けられていて、何本ものコードが伸びてベッドの横にある機械とつながっている。部屋を広く見渡してみる。四人部屋だ。みんなベットの横に機械がある。僕と同じだ。ああ、僕は入院している。あれは夢じゃなかった。僕は本当に入院している。


 朝食が配膳される。ご飯、味噌汁、おかずが小皿で3品。小さなパックの牛乳。質素ではあるが、普通の朝食だ。と思ったが、ご飯がおかゆだった。おかゆ好きじゃないんだよね。でも仕方ないか。スプーンでおかゆを食べる。やっぱりおかゆは好きじゃない。そういえば婆ちゃんが入院してた時にふりかけを持ち込んで食べてなかったっけ。ふりかけ食べてもいいか後で聞いてみよう。まぁ、とりあえず今日はおかゆ食べるしかない。
 ご飯を食べていると疲れてきた。ご飯をスプーンですくって口元に持ってくるという動作は、距離感が難しくて実はなかなか高度な動作なんじゃないだろうか。疲れて眠くなってくる。ご飯を食べてる最中なのに眠くて瞼が下がっていく。ああ眠い。このまま寝ようか。さっき起きたばっかりなのに、もう眠い。赤ちゃんがご飯を食べながら寝てしまう動画を見たことあるけど、こんな感じなのかな。目を閉じていると看護師さんに「ご飯食べましょうね~」と声を掛けられて起きる。「お手伝いしましょうか?」そう聞かれて、僕は何の躊躇もなく頷いてスプーンを渡した。後は看護師さんにご飯を食べさせて貰ってどうにかこうにか朝ご飯が終わった。
 朝食が終わると薬が配られる。この時にもまた名前と日付を聞かれる。口で喋りながら指も使ってどうにか答えると、看護師さんは「はい。間違いないですね~」と言いながら薬を一袋見せてくる。僕の名前と今日の日付が印刷されているのを見て、僕は頷く。すると袋を切って薬を飲ませてくれた。

 あらためて自分の周りをぐるっと観察してみた。コードがつながっている機械の反対側にはキャビネットがあってテレビが付いている。テレビ見れるのかな。テレビの下の棚にスマホがある。僕のスマホだ。スマホ使ってもいいのかな。看護師さんに聞いてみると、テレビの視聴はイヤホンをして見てもいいそうだ。スマホも使っていいそうだ。ただし、スマホの音が出ないように気を付けて、動画を見たりするときは必ずイヤホンをするように、と。ついでにふりかけのことも聞いてみたら、ふりかけの成分を主治医がチェックしてからになるが、おそらく食べれるだろう、と。やったー、ふりかけ大好き。
 とりあえず、僕は生きてるということを両親に連絡しなきゃな。あと、ふりかけを買ってきてくれるようにお願いしたい。母にスマホでLINEを送ろう。と思ったが、文字を打つのがとんでもなく大変。頭の中に全く言葉が出てこない訳ではないのだか、ものすごく時間が掛かって出てきづらい。言葉が出てきてもそれを頭の中で文章に構成できない。なんとか頭の中で文章になってもそれをスマホに入力する時に文字が五十音の何行か分からくなって五十音をいちいち最初から唱えないと文字を入力できない。うーん、参ったな。こんなことになっちゃうのか。うーん、困ったな。しかも操作を全て右手だけでやらなければならなくて、起きることもうつ伏せになるとこも出来ないので、仰向けの状態で右手でスマホを空中に持って右手の指で文字を入力しなければならない。文字の打ち間違いばかりになる。でも、消して打ち直すのが面倒臭くなって、そのまま送っちゃう。ああ、これって頭も危険な状態だと思われるだろうな、と一瞬だけ思うんだけど、それよりも打ち直す面倒臭さのほうが勝ってしまってそのまま送っちゃう。そんなことをしていると右手が疲れてきてスマホを落とす。落としたスマホを拾いたいのだが、どこに落ちたか探せるのが右手が動いて触れる場所だけなので、身体のどこに落ちたのか見つからない。仕方ないので、ナースコールを押して看護師さんに来てもらってスマホを探して拾って貰う。こんなことで看護師さんを呼んでいいのかな?と思って聞いてみたら、「全然構わないし、無理に動くほうが危ないのでむしろすぐに呼んで欲しい」との返答。なるほど。看護師さんって大変だね。
 いつも連絡を取ってる友達にも連絡したいなぁ、と思うんだけど、母に数行の文章を打って送るだけで疲れたので、今日はここまで。


 そういえば、ふと気づいたら、トイレに全く行っていない。
 ちんちんに管を付けられたのは覚えているが、これがそういうことなのだろう。他の身体にあちこちに付けられている機器は邪魔臭いけど痛さとかは特にない。でも、ちんちんの管だけは強烈な違和感があって身体を動かすと若干の痛みもある。
 ダメ元で看護師さんに聞いてみるが、僕はまだ動けないので当分はこの状態だそうだ。仕方ない。

 何もすることがなく、漠然と今迄のことを考える。
 何年か前にインフルエンザに掛かって病院に行った時に血圧を測られたら、上の値が160くらいあった。病院の先生から通院と薬を勧められたんだけど、自分では体調が悪い自覚症状が全く無かったので、断った。それでも自分で血圧計を買って定期的に測って少しでも体調に変化があったら病院に来るように強く言われて、後日、血圧計を買って、しばらくは毎日測っていた。ずっと変わらず血圧は160くらいあり、自分でネット検索などで調べてそれが危険な状態であることは分かったのだが、なんせ体調が悪い自覚症状が全く無いので、血圧を測るだけで特になにもせず、血圧を測ることもいつの間にかやらなくなった。
 そして、何の自覚症状も兆候も無く、ある日突然に、脳出血になった。
 よくある話で「もしもタイムマシンで過去に戻れるなら」なんて質問があるけど、僕は戻れるなら病院で血圧を測った日に戻りたい。もっと前に戻って血圧が上がらないような健康的な生活をするのが一番良いんだろうけど、そうするとどこまで戻ればいいのか分からないので、最低限、病院で血圧を測った日でいい。そしてその日からちゃんと気をつけて生活するようにしたい。
 まぁ、そんなことは無理だし、過去には戻れないんだけど。

 どうでもいいことを考えて時間を潰してると、お医者さんでも看護婦さんでもない人が僕のことろに来た。リハビリの先生だそうだ。これから毎日、3人の先生が来て3種類のリハビリをするらしい。内容を詳しく説明されたけど、正直よく分からない。要するに、日常生活の動作を練習するリハビリ、身体を動かして運動するリハビリ、喋るリハビリ、の3種類をやるということらしい。
 でも身体にたくさんコードが付いていてベット横の機械とつながっているので、身体を大きく動かすことはできない。とりあえずリハビリの先生に左腕と左足のマッサージをして貰ったり、動かして貰ったり、それだけ。だけど、リハビリの先生に強く言われたのは、この時に動かして貰っているのを漠然と受けるのではなく、動かして貰いながらも自分で力を入れて動かそうとする意識を持ち続けて、動いている(動かされている)左腕や左足をしっかり見て動いているイメージを脳に刷り込み続ける。
 リハビリを始めた最初から退院する最後までリハビリの先生にずっと何度も言われたのは、僕がやることは「脳のリハビリ」だということ。僕は左腕や左足を怪我して動かなくなったのではなくて、脳のダメージで左腕や左足に指令が出せなくなって動かなくなっている。だから、リハビリして動くようにするのは指令を出す脳である。脳を動かして、脳からの指令で左腕や左足を動かす。これは退院後もずっと自分に言い聞かせていることだ。
 喋るリハビリは、顔のマッサージと基本的な発音の練習、あとは時間いっぱい世間話。うーん、やっぱりどうも話しづらい。喋るリハビリじゃなくて身体を動かすリハビリの時も、先生と喋りながら行う。口は動きづらいけど、それでもどうにかこうにか動く。左腕と左足は動かないが、口は動く。誰かと会うのは楽しいし、誰かと喋るのは楽しい。


 入院して10日程ほど経つと、部屋が移動になって、身体のあちこちに付けられていたコード類が全て外れて機器とのつながりがなくなった。
 危険な状態を脱したらしい。逆に言うと、今迄は何らかの機器とつながっていなければならないような危険な状態だったということだ。そうか、僕は死んでしまう危険もあったんだろうなぁ。脳出血だもんなぁ。そりゃ死ぬよなぁ。ああ良かったなぁ、生きてて。なんて思って、この時にあらためて怖くなった。
 ちんちんの管も取れた。むちゃくちゃ嬉しい。ただし、まだトイレに行ったりはできず、おしっこがしたい時はナースコールを押して看護師さんを呼んで、ベッドの上で尿瓶でしなければならない。

 身体に付いていたコードがなくなったので、リハビリはようやく身体を動かすトレーニングが始まった。
 まずは、ベットの横に両足を下ろしながら上体を起こして座る動作の練習。この動作がこの先の色んな動作の始まり。動く右足で動かない左足を支えて誘導する。そして両足をベッドの横に振り下ろす勢いを使って、右腕でグイッとベッドを押して上体を起こす。この練習を何度も繰り返す。
 スムーズにベッドの横に座って安定するようになったら、リハビリの先生が大きな長い道具を持ってきた。足を真っ直ぐに支える器具(装具)だそうだ。

 リハビリの先生が僕の左足に装具を付けてくれて、「自分の左足を信じろ!」と鼓舞してくれる。
 信じる。自分の左足を信じる。僕はそう強く思い、左足に、脳に、強く言い聞かせる。僕の左足を信じる!
 リハビリの先生に身体を支えて貰いながら、僕は立った。立ったんだ。
 倒れたあの日以来、入院してから初めて立った。涙が流れた。自然と涙が流れていた。僕は泣いていた。
 リハビリの先生はそんな僕を見て「まだ早いよ」と言って笑っている。「これから歩いたり色んなことが出来るようになっていくんだから、泣くのはまだ早いよ」その言葉を聞いて僕は更に涙が溢れて止まらない。
 僕は将来のことをあまり深刻に考えないようにしていた。「なんとかなるさ」なんて楽観的に自分に言い聞かせていた。でも、心の奥底では怖かったのかも知れない。身体が動かなくなって寝たきりになっても何も出来なくなるかもしれないことが怖かったのかも知れない。
 でも、僕は立てた。立てたんだから、これから歩けるようにもなる。僕は歩けるようになる。僕の左足を信じる。
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